インフルエンザにかかってしまい、年始一発目の更新がかなり遅くなってしまった。悪しからず。
ということで、遅ればせながらあけましておめでとうございます。
さて、挨拶はここら辺にして本題に移ろう。今回は久々に野球ネタを。
正直今回取り上げるネタについては私自身あまりに腑に落ちない話であり、憤りすら感じている。
昨年末から年明けにかけ、2つの移籍劇にプロ野球界は大きく揺れた。
ここに挙げた2人の選手、内海哲也投手と長野久義外野手はプロ入り以来読売ジャイアンツ(以下巨人)一筋でプレーしてきた。そして内海は6度の、長野は3度の優勝に貢献。
実績、人気共に十分。誰もが認める名選手であった。
しかしある事情により、彼ら2人は突如巨人を追われてしまう。
この移籍により巨人は、多くの野球ファンやOB選手・メディアの批判を浴びることとなった。
長年チームに貢献してきた功労者が、そもそもなぜ移籍することとなったのか? そしてなぜ、移籍は「炎上」とも言えるバッシングに発展したのか?
今回に関してはやや話が複雑なので、
- 移籍に至るまでの流れと移籍への反響
- 移籍へのバッシングを加速させた2つの補強
- 考察と総括
にでも分け、この話題を考えていく。
目次
移籍に至るまでの経緯
まずここが一番複雑だと思うので、以下におおまかな流れを示す。
- 巨人、西武から炭谷銀二朗捕手、広島から丸佳浩外野手を引き抜く
- 巨人、「引き抜いた選手の補償を西武と広島に差し出す義務」を背負う
- 西武、引き抜かれた炭谷の代わりに巨人から内海哲也投手を引き抜く
- 広島、引き抜かれた丸の代わりに巨人から長野久義外野手を引き抜く
- 人気・実績共十分だった内海・長野を守らなかった巨人、猛批判に晒される
1.巨人、西武から炭谷銀二朗捕手、広島から丸佳浩外野手を引き抜く
プロ野球界には、「フリーエージェント」と呼ばれる制度が存在する。
ざっくり解説するなら、
「一定の期間(通算して7~9シーズン)一軍でプレーした選手が、好きな球団でプレーできる制度」
とでも言えよう。(この記事はただでさえ煩雑になりそうなので、制度の詳細はこちらで確認して欲しい)
1993年に開始されたこの制度は頭文字(Free Agent)から「FA」・その権利は「FA権」と呼ばれ、導入以降多くの大物選手の移籍をもたらしてきた。
そして昨年11月26日、西武から炭谷銀仁朗捕手をこのFAで獲得。
同年12月11日には、広島から丸佳浩外野手を同じくFAで獲得。
既にキャッチャーが複数人いることから、炭谷の補強には疑問視する向きもあった。一方で丸に関しては、打力・守備力・走力全てが揃った選手として大いなる期待が寄せられている。
他球団から2人も主力級の選手を引き抜き、巨人の補強は成功したかのように見えた。
しかし、FA制度の「あるルール」がネックとなった。
2.巨人、「引き抜いた選手の補償を西武と広島に差し出す義務」を負う
日本プロ野球機構が定める「フリーエージェント規約」には、以下のような条文が存在する。
1この組織に所属する他の球団(旧球団)に在籍していたFA宣言選手と選手契約を締結した球団(以下「獲得球団」という。)は,本条に定めるところにより,当該選手の旧球団に対し金銭及び選手を補償する(以下「FA補償」という。)
そう。FAで選手を獲得した球団は、場合によっては前の球団に補償として金銭や選手1人を譲渡せねばならないのだ。(前の球団での年俸が球団内で10位以上の選手が移籍した場合に限る)
そして、丸も炭谷もその「場合」に当てはまってしまった。この結果、巨人には広島と西武に何らかの補償をする義務が生じたのであった。(※1)
補償選手の選択権は移籍選手が以前所属していた球団(この場合は西武と広島)が全面的に握っており、理論上主軸だろうが誰だろうが好きな選手を1人持っていけるのだ。
しかしまあ、それでは移籍先の球団もたまったものではない。そのために、「プロテクト」という制度が存在する。
これは移籍先の球団が移籍させたくない選手を28人選べるもので、基本的に主力選手はこのリストに載る。
逆に言えば、「ここから漏れる選手は移籍先の球団にとって『最悪取られても構わない選手』なのではないか?」という見方もされかねない。
そういうことから、過去FA補償で移籍した選手は「イマイチ芽が出切らない若手や中堅」「明らかに盛りを過ぎたベテラン」が多かった。
盛りを過ぎたとは言え、復活の兆候が見え始めた内海。主軸として多くの試合でスタメンを張った長野。
殆どの野球ファンは、彼らがプロテクトから漏れていようとは思わなかったはずだ。
3.西武、引き抜かれた炭谷の代わりに巨人から内海哲也投手を引き抜く
しかし12月20日、衝撃的なニュースが流れる。
高校時代に一度は他球団からの誘いを受けるもそれを断り、以来巨人一筋15年。
現役選手では2番目に多い133勝を挙げ、6度の優勝と2度の日本一に大きく貢献。
そして温かい人柄とリーダーシップで、チーム内でも慕われている選手であった。
「投手陣の精神的支柱」たる内海が失われたことによる巨人関係者、ファンの落胆は大きなものであったことは想像に難くない。
しかし何よりもその落胆を加速させたのは、「精神的支柱と呼ぶべき人物を、プロテクトで巨人球団が守らなかった」という事実であろう。
「チームにとって大切な選手を、球団が放り出した」という印象を与えかねないこの流れ。
それによってファンの落胆は、怒りへと変わったのだろう。
一方でこの時、まだ広島から獲得した丸の補償は発表されていなかった。
80年代に活躍した巨人OBで、DeNAの監督も務めた中畑清氏はスポーツ紙のコラムで、
「広島が誰を指名してきても二度と『残念』なんて言ってほしくない」
と、主軸・ベテランが再び流出することがないよう願った。
しかし多くの巨人ファンも抱いたであろうこの願いは、再び裏切られる形となった。
4.広島、引き抜かれた丸の代わりに長野久義外野手を引き抜く
年明け後の1月6日、またも多くの巨人ファンを失望させるニュースが流れた。
一軍と二軍を行き来していた内海に対して、長野は全143試合のうち116試合に出場。その多くでスタメンを張っていた。
いわば、バリバリの主力であった。
そしてこの長野は、野球少年だったころから熱狂的な巨人ファン。
批判を覚悟の上で、大学時代・社会人時代に他球団からの誘いを断った過去を持つ。
念願の巨人入団後は新人王や数々のタイトルを獲得。2012~14のリーグ三連覇にも貢献した。
また、内海同様に先輩・後輩・メディアへの気配りもできる人物で、多くの関係者から慕われていた。
広島が長野に、監督の現役時代の背番号「9」を提示した際「この背番号は若手が育った時に与えて欲しい」と辞退したエピソードはその人間性の一端を窺わせるものだろう。
しかし、巨人は成績以上に大きな影響を持つ長野の流出を許してしまったのだ。
立て続けに愛されたベテランを失った巨人。
広くプロ野球界を巻き込む議論を引き起こしたのは、必然であった。
5.人気・実績共十分だった内海・長野を守らなかった巨人、猛批判に晒される
「他球団への入団を拒否してまで巨人入団を望み、そして長年貢献してきた彼らをなぜここまで蔑ろにするのか?」という批判が巨人球団、特に戦力編成の全権を握っているとされている原辰徳新監督(※2)に向けられた。
例えばTwitterには「原 死ね」という不穏当なサジェストが一時登場。5ちゃんねるの「なんでも実況J板」(※3)でも「彼らを守れなかったのは残念」という旨の原の発言に対し、「サイコパス」「お前がリスト作ってんじゃねーか」といった批判の嵐が吹き荒れた。
挙句、炭谷までもがとばっちりを受ける始末。(以下の記事参照)
そして一般ファンの批判だけで事は収まらず、多くの巨人OBからも苦言を呈される結果に。
80年代に巨人でエースとして活躍した西本聖氏は、「ベテランが立て続けにいなくなる。選手は『自分もどうなるか分からない』と不安になり、いい空気は流れない」と断じた。
先程も取り上げた中畑清氏は長野について「ゆくゆくは巨人の歴史を背負い、指導者などで貢献しなくてはいけない選手だった。放出はこっちこそ残念」と嘆いた。
最早、一種の炎上状態だ。
次回予告 ~批判を加速させた不可解な補強~
とは言え、「ベテランを泣く泣く諦め、若手・中堅選手を中心に若返りを図る」という考え方も存在する。というよりメジャーリーグなどではかなり一般的な考え方だ。
内海は今年37歳で長野は35歳。新加入の丸は30歳で炭谷は32歳。
上記の理論でいけば、実はそこまで理不尽な話ではないように思える。
だがFA補強とは別に進められた、「若返り」に逆行する2つの補強が、今回の放出に「理不尽」という印象を与えることとなった。
既にかなり長ったらしくなっているので、ここからは次回に持ち越しとする。
次回記事
脚注
※1…移籍元の球団が選手を要求せず、金銭のみの補償に留まるケースもいくつか存在する。
※2…一応「新監督」としたが、原は2002~2003年、2006~2015年に巨人監督を務めた。つまりは「再々登板」である。
※3…野球ネタを中心に扱う5ちゃんねる内の掲示板。
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