eスポーツなるものを皆さんご存知でしょうか?
アニメ、ゲーム、マンガが好きないわゆるオタク層の皆様方におかれましてはきっとご承知のことかとは存じておりますが、eスポーツとは競技としてビデオゲームをプレイすることだと思っていただければ相違ないかとは思われます。
近年少しずつ盛り上がりを見せており、昨年2018年においては新語流行語大賞にもノミネートされました。
しかし、その実情はと言うと、名前は知っていても実際に観戦したことはない、という方が大半だろうと思います。
昨年、私がこよなく愛する「レインボーシックスシージ」というゲームの世界大会で、日本代表が初めてベスト4に進出し、このゲームのみならず日本のFPSゲームシーン全体で見ても快挙と言われる出来事があったのですが、このことを知っている方は果たしてどれだけいるでしょうか?
今回は、「eスポーツ」という言葉の認知度自体は高まっているものの、観戦者がなかなか増えない原因とその対策について、10割私見で色々述べていこうと思います。
専門性が高すぎる
はい、もう上に答えが出ました。
eスポーツ観戦者が増えない理由はずばり、その専門性の高さゆえです。
順を追って説明していきましょう。
一口にeスポーツと言っても中身は様々です。
具体的に言えば、「スト5」だろうが「ハースストーン」だろうが「ウイイレ」だろうが「シージ」だろうが「PUBG」だろうが全部eスポーツでひとくくりに出来ます。
しかし、ひとくくりに出来るとは言え、ゲームの内容は全部異なります。
流石にジャンルが同じであれば多少は似かよってきますが。
つまるところ、例えば「シージ」で
「国境」1ラウンド目の防衛はほぼ2Fがピックされるから「武器庫」を「突き上げ」するために攻撃側は「バック」をピックするのがテンプレ
とか言われたところで知らん人には意味が分からんのです。
しかしながら、こういった「専門的」な会話はあらゆる競技ゲームに存在してしまうので、自分がプレイしたことのあるゲームならばともかく、知らないゲームの大会をわざわざ見ようとは思わなくなってしまうわけです。
専門性の高さは本当に悪なりや?
では、この「専門性が高い」という問題をどう解決すべきか、についてですが、
正直この部分を解消することは不可能です。
そして、「専門性」とは「競技性」と不可分な領域にあるので「専門性の高さ」を解消して分かりやすくしすぎてしまうのはむしろ、競技性を損ねる可能性があり、そっちの方が問題になってしまいます。
というわけで、私は先ほど嘘を述べました。
「専門性の高さ」が問題だと言いましたが、正確ではありません。
正確には「専門性の高さから来る精神的な障壁をなくすための取り組みが薄い」ことが真の問題なのです。
だって考えてみてください。
日常的に観戦している人が多いであろうと思われる「野球」というスポーツ。
あんなにルールが複雑で専門用語に富んだスポーツはなかなかありませんよ。
スポーツニュースでよく聞く野球用語に「防御率」なんて言葉がありますが説明できますか?私は出来ません。
さらに、野球のルールで話をすると、ただ投げたボールを打って走れば良いわけではなく、もし打ち上げた打球がそのままキャッチされてしまったらアウトになりますし、逆に1バウンドでもした上で出塁に成功すればそれはヒットになるわけです。
こんなに複雑なルールが他にあるでしょうか。
しかし、こんなに複雑なルールにも関わらず、例えばオリンピックで野球をするとなると、いきなり皆がこぞって野球を観戦し出す訳です。
全員が完璧にルールを把握しているわけでもないのに。
なぜ、ルールも分からないのに観戦するのかと言えば、それはきっと「オリンピック」で「皆」が盛り上がっているからでしょう。
ルールも分からないのになぜ楽しめるかと言えば、それは野球というゲームの、球を打った打たなかった、点をとったとらなかったという部分だけを見て、単純化させて楽しんでいるからでしょう。
つまり、ルールが複雑であったりすることは、そのスポーツを観戦して楽しむことに関しては、実は何の障害にもならないのです。
さて、話をeスポーツ=ゲームに戻しましょう。
「ルールが分からなくても見ていて楽しめる」という部分については、ゲームは問題なく満たしているでしょう。
例えば、格ゲーであれば細かなテクニックはわからなくともコンボが繋がって相手を倒せたりすればスゴいと盛り上がれるし、FPSやMOBAも相手を連続で倒していたりすればスゴいと盛り上がれるでしょう。
動画サイトで知らないゲームのスーパープレイ動画を見て楽しんだ経験とかあったりしませんか。
ゲームはシステムとして演出が組み込まれているのでそういった見て楽しむ部分に関しては強いと言えるでしょう。
では、もう一方の「見るきっかけ」という部分についてはどうか。
私はまさにこの部分が問題だと思っているわけです。
つまり、一度見てしまえばなんだかんだ楽しめたりする可能性はあるわけですが、その見るためのとっかかりの部分が現状薄いのです。
では、その部分についてどうしていけばよいのか。
それはまた後編で述べることにいたします。ヒントは既に出てますが。
というわけで、待て次回。ではでは。
Ainowo
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