昨今のゲームの評価基準としてよく使われる単語の1つに「自由度」というものがあります。
「自由度」が高いゲーム=面白いゲームといった具合ですね。
それでもって、近年は「自由度」が高いとされる「オープンワールド」のゲームが増えている・注目されているという状況になっているように思います。
先に述べた、「自由度」が高い=面白いという部分については異論はありません。
「自由度」の高いゲームというのは確かに面白いです。
「オープンワールド」のゲームに「自由度」が高いゲームが多いというのも確かでしょう。
ただ、「オープンワールド」を標榜するゲームでも「自由度」が低い、あるいは低く感じてしまうゲームがあるのもまた確かです。
なぜ、このような現象が起きるのか。それにはまず、「自由度」がなんたるかについて考えねばなりません。
そして、結論を先に述べてしまうと「オープンワールド」とはゲームの「自由度」に必ずしも寄与しないというのが私の意見です。
では、順を追って論を展開していきましょう。
目次
「オープンワールド」というなんとなく使われがちな言葉について
さて、話を進める前に一つ明確にしておかねばならないことがあります。
「オープンワールド」って結局なんなんだよという部分ですね。
「オープンワールド」という言葉には2通りの使い方が存在します。
1つはシステムとしての「オープンワールド」です。
システムとしての「オープンワールド」とは、要するに「ロードを挟まずに比較的広範囲のマップを自由に移動できるシステム」のことです。
究極的にはゲーム中に存在するあらゆる要素がロードを挟まない1つのマップで構成されているのが「オープンワールド」ですが、
現実的には互いにロードを挟むいくつかの大きなマップで構成されていたり、一部の建物やダンジョンなどはロードを挟む別マップとなっていても「オープンワールド」として扱われます。
そして、2つめの「オープンワールド」とはジャンルとしての「オープンワールド」です。
ジャンルとしての「オープンワールド」とは、前述のシステムとしての「オープンワールド」を前提としたうえで、そのマップ上に数々のイベント・クエスト・インタラクティブなオブジェクトが設置されていて、
マップを自由に移動しながらそれら様々なコンテンツを楽しむことが出来るという遊びをベースとしたゲームジャンルのことです。
すなわち、ジャンルとしての「オープンワールド」の定義の中にはすでに「自由度」が高いということがすでに前提条件として組み込まれているわけですね。
なので、ジャンルとして「オープンワールド」を語る場合は、「オープンワールド」と「自由度」とは密接な関係にあることになり、その2つを等号で結んで語る人も多いです。
さらに言ってしまえば、システムとしての「オープンワールド」を採用するだけで、ゲームの自由度が高くなる、高いものになると思っている人も多いです。
これこそがまさに問題でして、今回私が議論したいことを改めて述べなおすと、
『ジャンルが「オープンワールド」のゲーム→「自由度」が高い』という命題はジャンルの定義上成り立つが、
『「自由度」が高いゲームならば、必ずジャンルとして「オープンワールド」を採用している』
『システムとして「オープンワールド」を採用しているならば「自由度」が高い』という命題は成り立つのか。
要するに、「自由度」が高いゲームとは全て「オープンワールド」のゲームになってしまうのか。
そして、システムとしての「オープンワールド」を採用すればゲームの「自由度」は高くなるのか。
さらに、そもそもゲームの「自由度」とはなんなのか
ということになります。
このことについて議論をするためにはまず、システムとしての「オープンワールド」について見つめなおさねばなりません。
そのため、今後「オープンワールド」とのみ述べる場合は原則システムとしての「オープンワールド」を指すものとします。
「オープンワールド」=「自由度」が高い……わけではない。
「オープンワールド」が必ずしもゲームの「自由度」に結びつかないことは明白かと思います。
順を追って説明していきましょう。
こういう場合、極端な例から考えてみるのが定石です。
さて、「オープンワールド」としてまずは、無限に広がる何もない平原を用意しましょう。
プレイヤーはこの何もない平原を自由に動き回ることができます。
ですが、ここに「自由度」があるかと言われればそれはNOです。何故ならそもそもゲームとしても成立していません。
なので、次に、この平原に色んなものを配置していきましょう。
街や山、海に川に洞窟にと様々なロケーションを用意しましょう。
ただし、用意するのは地形や建物のみです。
さて、これはゲームたり得るでしょうか?
これでもまだゲームとしては成立してないと思います。(ウォーキングシミュレーターとして見るのなら別ですが)
しかし、この時点ですでにシステムとしての「オープンワールド」は成立しています。
この時点で「オープンワールド」がすなわち「自由度」になるわけではないことは理解できると思いますが、もう少しこの例についての話を進めてみましょう。
まだこの例はゲームとして成り立ってないので、ゲームとして成り立たせてみましょう。
この「オープンワールド」に敵を設置し、プレイヤーはその敵を倒すことが出来るとします。
これで、プレイヤーは「オープンワールド」上の様々な場所に赴き敵を倒すという遊びが出来るようになりました。
これで一応ゲームとしては成り立ち始めましたが、果たしてこのゲームは楽しいでしょうか?
ただただマップを彷徨って敵を倒すだけのゲームです。しかも、敵を倒したからといって何かあるわけでもありません。
マップや敵がとても作りこまれているのならそれだけである程度は遊べるでしょうがすぐに飽きてしまうでしょう。
それに、プレイヤーの出来ることは移動と敵を倒すことだけです。
このゲームに「自由度」はあるでしょうか?
と、ここまで極端な例をもって、「オープンワールド」と「自由度」の関係を見てみたのですが、「オープンワールド」を採用したからといって決してゲームの「自由度」が高まるわけではないことは理解してもらえたのではないでしょうか。
また、ゲームの「自由度」がどこに生ずるかということの輪郭が見えたのではないかと思います。
つづく
さて、ゲームの「自由度」と「オープンワールド」について語っていこうと思って書き始めましたが、想像以上に長くなりそう書くのが疲れたなので、続きはまた来週にしようと思います。
次回は、「自由度」とは何たるかについて、また、例を用いながら検証していこうと思います。
ではでは。
Ainowo
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